せいぜいたのしくやろうぜ

書いてる人:二木

30代からはじめる映画鑑賞。感想記事は基本的にネタバレしているのでご了承ください。

2015年音楽まとめ

とは言っても今年は4月~10月の半年間みっちりスクフェスをやっていたせいで新しい音楽をほとんど聴けなかった。通勤時間のすべてμ'sを捧げていた期間、私は新しい音楽を一切聴かなかった。今年ほど音楽に出会わなかった年はない。赤ん坊の頃ですら、毎月みんなのうたで新しい曲に触れていたというのに……。

2015年リリースでよかったもの

ジパング

ジパング

自分にとって今年一番の音楽ニュースといえば、水曜日のカンパネラの大躍進だった。元々はプロデューサーのファンで、ソロとあまりにも方向性が違うので戸惑っていたのだが、この「ジパング」の完成度を耳にしたとき「彼らの試行錯誤がいまやっと初めてひとつにまとまって、この高みまで来たのか…!!」と非常に感動した。
PVが面白いのでSNSでもよくyoutubeをシェアされていたが、ちゃんと音源を買ってお気に入りのイヤフォンで聴いたときの音の良さといったら……! かなり昔だがプロデューサー氏がwebサイトの日記で「リスナーがいい環境で音楽を聴いてるのは稀、安いイヤフォンで聴いてもそれなりに伝わるように作らなければ」というようなことを述べていたので、感動もひとしおだ。
今までは二の足を踏んでいたが、この音を体感したくて来年のライブは行ってみることにした。今からとても楽しみです。


水曜日のカンパネラ『ラー』

水曜日のカンパネラ『メデューサ』
ジパングより2曲。お得意のぶっとんだ雰囲気の『ラー』、久しぶりに歌唱中心でコーラスが気持ちいい『メデューサ』、方向性がばらんばらんですがどっちも大好き。


水曜日のカンパネラ『桃太郎』
あまりにも有名なアレ。今年もこの歌の中毒になっている芸能人をSNSで沢山見た。


水曜日のカンパネラ『ミツコ』
一番好きな曲。聴いた当時はまだ『恋の罪』を観ていなかったけど「うわめっちゃ園子温だ……」と思ったし、映画を観たら想像していた以上に映画そのまんまを取り出した歌詞だったのにびっくりした。園子温と水カンに共通点は感じないけどこの曲はそのどちらも的確に表現している。

余談ですが水カンは公式チャンネルですべてPVを公開しているので、違法アップロードにリンクを貼りたくない人間でもじゃんじゃんシェアできて気持ちよかったです。こういうプロモーション戦略も彼らが成功した理由の一つなのでは。


奇麗

奇麗

この年になってこんな若くてインパクトのあるバンドにハマれるとは思ってなかった。以前からヴィジュアルも素敵だし、耳にするたび感じがいいなと思ってはいたのだけれど、アルバムを聴いて一発で好きになりました。曲は結構シンプルなんだけど、ヴォーカル含めサウンド面の表現が多彩。噂では二十歳そこそこのメンバー達らしいけれど、彼らの人生は非常に濃密なのだろうな……と想像してしまいます。
「売旬」での篠崎愛さんとのデュエットも素敵でした。


WEEKEND SOUL BAND

WEEKEND SOUL BAND

今年二次元のアイドル以外で一番聴いたのは確実に本アルバムの「サウンドシステム feat.やけのはら」だったと思う。このバンドに関しては本当に何も知らないのだけれど、バンド名が気になって試聴してみたところ気に入ったのだった。野太いヴォーカルとやけのはら氏の軽快なラップの相性が抜群でした。ブログタイトルもこの曲から拝借。


HEAR YOU

HEAR YOU

コラボやゲストボーカルもいいけどやっぱり本人たち完結の曲がぐっとくる。


the flowers of romance

the flowers of romance

変わらず深刻かっこいいんですけど彼らのピアノの音を聴くと自動的にマヨネーズを思い出すからキューピーは罪深い。


愛のプリズン(TVアニメ「監獄学園」OPテーマ)

愛のプリズン(TVアニメ「監獄学園」OPテーマ)

上坂すみれが「パララックス・ビュー」をリリースしたとき、どれだけ徳を積めば特撮コンビに曲書いてもらえるのかと嫉妬をしたものだが、徳を積んでる声優は他にも割といるのかもしれない。

今年以前リリースに関して

Stranger(ボーナストラックのダウンロードクーポン/ライナーノーツつき)

Stranger(ボーナストラックのダウンロードクーポン/ライナーノーツつき)

こういうグッとくるインストバンドに出会えるのは本当に稀。かなり気に入ってます。

すべての曲が前衛的な感じだったのでもうちょっと楽しい曲も入れてほしかったのがちょっと残念。また来日してほしい。

Fictional World Lullaby

Fictional World Lullaby

今年は改めてSPANOVAにハマり直した一年だった。ポップな曲もアンビエントな曲もどうしてこんなにかっこいいのか。
今年話題になった資生堂の映像、曲が彼らの手がけたものらしい。かっこいい。


High School Girl? メーク女子高生のヒミツ (The Secret of High School Girls)


来年は久々に夏フェス復帰したいので、二次元以外にもしっかり目を向けて生きていこうと思います。

『コードネーム U.N.C.L.E.(アンクル)』(2015/英・米/ガイ・リッチー)

 見た目も性格も正反対な二人で組まされたバディ、これ以上に何か起こりそうな組み合わせは他に存在するだろうか。近年めでたくBL趣味に目覚めた腐女子のはしくれとして、無論私もその辺のいろいろなアレで期待に胸をふくらませつつ劇場に足を運んだ。

 呼吸のように女をコマすソロとは対照的に童貞丸出しのイリヤ。歴代スパイ映画のヒーローが大抵女にモテているのは、やはり任務をスムーズにこなすために必要なのでは? イリヤ大丈夫? と少々不安になった。まあそこがイリヤの可愛いところだし、逆にソロの初対面の人間に対する器用さはちょっと怖いくらいだ。しかし道具の使い方や戦闘力はイリヤのほうが一枚上手か。同じスパイでも詐欺師タイプと隠密タイプで毛色が全く違う。そんな彼らが自分たちのスパイ道具を自慢し合ったり、いかに多くの盗聴器を相手サイドに仕込むかで張り合う幼稚さは見ていて微笑ましい。
それにしても、遊び慣れたソロよりも、女性経験があきらかに乏しいイリヤのほうがギャビーに流行りの服を選べたのは何故なのだろう。ソロがバッチリ決まったスーツの上に着ていたダサいエプロンの異様な生活感を見るに、ソロはもしかしたらへんなところがユルいタイプなのかもしれない。だからこそ敵に捕まってもあんなに暢気でいられるのだろうけど…。

 しかし今回、主人公コンビをはるかに凌駕するときめきをくれたのは、米ソのスパイ二人組と行動を共にするドイツの女性整備士・ギャビーであった。
60年代当時の流行である彼女のポップなファッションやお人形のようなメイクは現代劇ではなかなかお目にかかれないものばかりで、あまりの可愛さに衣装が変わるたび悶絶。どんなに着飾ってもいつもちょっとガニ股、男たちの喧嘩を怒鳴りつけて成敗、酒もローマの噴水の水もじゃぶじゃぶ飲む。ギャビーは可愛いのにちょっとガサツなところがカッコイイ。そしてそんなギャビーとの、少年誌レベルのラブコメ展開すらものにできないイリヤよ…。この二人の組み合わせも面白かったです。

 映像・演出面の軽快さも格別で、ばかばかしいくらい華麗なカーチェイスや、リズム重視でかなり遊んだ作りをされた基地潜入シーンを見るに、この映画のメインはアクションではないのだ。バディものであり、愛憎劇であり、何よりも優れたコメディなのである。とくに度々登場した「カメラのピンの合ってないところでぼんやり起きている面白いこと」という、映画ならではの笑いの取り方は見事。たとえパンフォーカスであっても成立するギャグなのだが、特にソロがサンドイッチとワインで軽食を楽しんでいる背景で、船で追い回されるイリヤに一瞬だけピンが合う…という演出はお見事。しかもこの時流れている劇伴が何故か日本のあるお笑い芸人がネタのときに流す曲だったので、この曲は欧米でも古くさくてしつこくてギャグ扱いされているんだな…というのがぼんやりわかった。

 私はどんな映像作品も劇伴が良ければ100点満点で120点をつけてしまうのだが、本作に関しては6000点つけてしまいたいほど音楽が好みだった。とくに序盤でベルリンの壁を超える際に流れている「Escape from East Berlin」、あまりにいい曲なので既存の曲かと思っていたらオリジナルだった。音楽担当のダニエル・ペンバートンは16歳でデビューしたアンビエント音楽家とのことだが、アンビエントというには随分とんがってないか…。

「コードネームU.N.C.L.E.」 オリジナル・サウンドトラック

「コードネームU.N.C.L.E.」 オリジナル・サウンドトラック

 サントラも買っちゃった。

 この映画を劇場で見た夜、周囲のお客さんは二人組の女性が非常に多かった。上映が終わった後、少なくとも2組の間では小さな声で「ソ連超受けじゃん」と話していたのが面白かった。だよねー。でも私はソロの襲い受けもありかと思います。きっと次回作があると思うので、その辺の世論の遷移も気になりますね。

2015/11/25 丸の内ピカデリー

『聖剣伝説 LEGEND OF MANA Arrangement Album -Promise-』下村陽子

 ゲーム音楽のアレンジCDは色々あるが、中でもゲームのタイトル縛りのアルバムはいやにハズレが多いように思う。しかし今年リリースされた本作は、あまりにも偉大すぎる元の曲をボサノヴァやジャズ、タンゴ調に大胆にアレンジすることでぶれない統一感を持たせることに成功している。音と音の間には質感を持った空気が存在し、シンプルでどこか隙がある、そこが素晴らしい。アンニュイなアコーディオンが主旋律を奏でる「彩りの大地」のアレンジ等かなり成功していると思う。

 このゲーム自体が超名作、かつ音楽の素晴らしさに関してはほぼ伝説レベルとなっているわけだが、中でも人気曲である「滅びし煌めきの都市」が本作にてオンボーカルでオシャレにアレンジされているのには驚いた。
 元々はストーリーの非常に重たい部分で流れている悲しい曲だ。ゲームのせつないストーリーもあって、それはわたし自身の悲しいという感情に直結する音楽だった。それがこんな軽やかでスタイリッシュにされているなんて…。この曲を聴いたときに抱えていた私の悲しみも、一緒にオシャレにアレンジされてしまったような気分になり、胸が少し軽くなったような気がしたのだった。

『チョコレートドーナツ』(2014/アメリカ/トラヴィス・ファイン)

 差別心の一番恐ろしいところは、悪意に自覚がない事だとつくづく思う。

 ウィルソン検察官は信頼する部下であるポールがゲイだと判明したとき、おそらく勝手に「裏切られた」という被害者意識すら感じたのではないだろうか。一緒にバスケの1on1に汗を流し、重要な案件を任せる程に評価していた部下がゲイだという事実を突き止め、クビにし、それどころかポールが恋人のルディと共に精一杯の愛情を注いでいるダウン症の少年・マルコを二人から引き離すため、彼らが不利になるようにわざわざ行動を起こした。

 ウィルソン検察官は、自分が正しいことをしていると疑いもしなかった。彼の価値観では、ゲイが子供を育てるなんて決して許される筈がない。そもそもゲイであることを黙ったままポールが自分と働いていたこと自体が、許容できるものではなかった。法廷で勝利したウィルソン検察官は、「ざまあみろ、裏切り者」とでも言いたげな顔でポールを振り返る。その結果、一人の子供が犠牲になった。

 自分の力でマルコと引き離した「ふたりのパパ」から後に送られてきた手紙には、怒りや糾弾ではなく、パパたちがどれだけマルコを愛していたかが綴られていた。親から子へ注がれる愛情にセクシャリティなど関係ないことに、気がついたときには手遅れだったのだ。

 我々は自分が常識的で上品で知性のある人間だと思いこんでいるくせに、正義でくるんだ無自覚な悪意で他者を追い詰めている。他者をズタズタに傷つけなければ、自分がいかにものを知らぬ人間で、偏見に満ちた社会常識の中だけで、いかにもわかったような顔をして、厚顔無恥に人生を歩んでいたのかに気付けない。しかしそれに気付いたときには、取り返しのつかないものを失っている―――。

 この話の舞台が2015年の現在であれば結果は変わったのだろうかと考え込んでしまった。ラストシーンは悲しいけれど、私たちのかわいいマルコと彼が歩く街が酷く美しく撮影されていたことが救いだった。

 

2015/12/26 Huluにて

『恋人たち』(2015/日本/橋口亮輔)

 日本の映画って「それでも生きていく」みたいな重苦しいテーマが多いよな、と思いながらこの作品の公式サイトを開いたら、「それでも人は、生きていく」というコピーがドカンと鎮座していて無性につらくなった。

 冒頭からいやに生々しく醜悪な人間の形相を描き続ける中、ゲイの弁護士・四宮の清潔な容姿とはっきりした声が中盤までは救いとなった。しかし、彼のゲイとしての純愛さえも、あのテナントで見せた想い人への性欲に満ちたいやらしい視線で一切の綺麗事を払拭する。ラストの彼の涙については人によって解釈が全然違うようだが、私には「なんでこんなバカにも愛し合う人がいるのに、俺は遠くから見守ることすら許されないのだろう」という絶望に見えた。この世で唯一愛している人間と、添い遂げることはできないとしても年老いても笑いあう関係でいること。そんな望みすら叶えられなかった彼は今後どうやって生きていけばいいのだろう。多分、あの彼より好きになれる人は生涯現れないのだろう。

 妻を殺された篠塚。最初は自分の不幸を言い訳にしているところがあるのか? と思ったが、そんな余裕もない程に彼の心は憎しみで真っ黒に塗りつぶされていた。一体誰のために裁判を起こしたかったのか。他でもない自分自身のためだと、本人は自覚できたのだろうか。会社の若い女の子に「ママにありがとうって言っといて」と声をかけたシーンは一番好きだ。冒頭からずっと感じていた不愉快さがこの辺からふっとなくなったのが不思議だった。

 隙だらけで平凡な瞳子さんのことを、私は不幸だとは思わない。彼女はちょっとバカであっけらかんとしているがゆえにこの人生を自ら選び、素直に刺激を求め、日々の陰鬱とした風景をママチャリで乗り越えていく。今は誰にも見せていないらしいが、どんな空想であれ彼女は物語をつくることを知っている人間だ。彼女の創作をただの虚しい逃避であるなんて誰に言えるのだろう。彼女には自分の世界がある。何度も見る雅子さまの映像も、プリンセス願望丸出しのネグリジェも、年齢に不相応なミニのワンピとブーツも、彼女が彼女として生きている証だ。彼女は逃げているのではない。自分だけの物語を生きている。

 しかし何故、「それでも人は、生きてい」かなきゃならないのだろう。それは篠塚が示したように、つらくて死んでしまいたくても死ぬのはなかなか難しいからではないか。私たちにできることは、死ぬまでの時間をなんとかやり過ごす事だけなので、皆必死に己の人生を意味のあるものにしたがるのだ。それ以外、何もない。

 

2015/12/12 テアトル新宿