せいぜいたのしくやろうぜ

書いてる人:二木

30代からはじめる映画鑑賞。感想記事は基本的にネタバレしているのでご了承ください。

癌と二木家

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 父が肺がんと診断されて丸3年が経過した。本当だったら今ごろ生きてないはずだったのに、彼はかなり成功確立の低い手術を無事に乗り越え、入院中も母親から「食いすぎだよこのクソデブッ!!」っと平手打ちを食らうほど勝手に大量の飯を食い(目を離すと大体カップ麺かイモ類をモグモグしていたらしい)、不死鳥の如く生還したのだった。

 それからはがんセンターへ定期健診に行く以外、父はずっと実家にいる。我々が幼い頃から休む間もなくいがみ合っていたグダグダの夫婦は、父の死が見えたときはじめて氷解しかかのように見えた。ところが最近、元々の相性の悪さに拍車がかかったように二人はお互いにヘイトをぶつけ合っていて、もう親類の誰しもが愚痴を聞くのすら飽き飽きしているのである。
 母はとにかく過干渉というくらい尽くすタイプだ。専業主婦にとっての唯一の報酬である感謝の言葉をわかりやすく欲しているのに、何故か結婚相手は寡黙、傲慢、自分にしか興味がなく仕事命、そして「家族の間に感謝の言葉など不要」とマジで言い放ったことのある困った豪傑なのである。私は今でもこの結婚は失敗だったと思う。嫁に行き遅れても結婚に焦ったらいいことがないのは、自分の親を見ていれば自然と理解できることだった。
 この荒々しい夫婦関係に関し、一番割を食ってるのは実家で暮らしている弟だ。コミュ力ZEROの老害病人の父と、ヴィンテージもののメンヘラ女子に板ばさみにされてさぞストレスが溜まっているだろうに、元来穏やかな性格である彼は辛抱強く我慢してくれている。しかしそのストレスのせいか元々荒れがちであった彼の部屋はよくよく散らかり放題で、今では自分以外の兄弟がいなくなった子供用の離れの家は、弟の手腕により立派なゴミ屋敷として仕上がってきている(ゴミについて触れると性格が変わったかのようにキレだすので誰も触れられない)。

 もう実家を出て10年以上経つが、私も含め家族が漏れなくポンコツなため、かなりこまめに帰省をしては、軽い部外者のような距離感で家族と交流をして緩衝材になっている。母親の愚痴を聞いてやり、弟とは「今期(アニメ)何見てる?」というお決まりの挨拶を交わし、実家を保育園代わりとしか思っていない兄嫁からパスされた甥っ子のウンコだらけの尻を拭い、父には時間があればせんねん灸を焼いてやるのが近頃の定番だ。
 ほとんど休みのなかった正月、とくにゴロゴロする暇もなく終わろうとしている帰省の最後、私はまた父の背中に灸を据えてやった。もう何年も背骨沿いの同じ場所を焼いているので、小さな火傷跡が首から腰までぽちぽちと残っている。その上に火をつけた灸を置けばいいだけなのでわりあいラクチンなのだが、やってみると存外疲れる作業なのだった。それでも私は父の、歳のわりにはすべすべとした、ピンク色の背中の皮膚が好きなので、灸を置いていない部分の肌を「いや~シルクの肌触りですな~」といいながら撫で回してやる。父も己の美肌にはちょっと自信があるようで、いつもまんざらでもないという顔をするから面白い。
 その日はめずらしく「ふくらはぎが痛いから」と言うので、寝そべって脚の裏側全体を焼いてやった。私も長年家族で焼いたり焼かれたりしているセミプロ(家庭内に限る)なので、滞っている場所は指圧すればわかる。体力の鬼であった父のふくらはぎは、病気になってから大好きな畑仕事もままならないくらいに筋肉が削ぎ落ち、かといって私のように浮腫んでもおらず、白くフヨフヨと柔らかかった。しかし右足の一部だけが異様に張っていたのが気になった。ひととおり焼いてやると、父は随分楽になったと喜んでいた。
 その、何も跳ね返さない、力のないふくらはぎは、父の命が随分と痩せ細っていることを私に伝えた。いつも誰よりも飯を食い、よく眠り、時折凄まじい重低音の咳をする以外は以前と変わらないムカつくおっさんのようであるため、家族は(とくに母は)何もしないで毎日のんびり暮らしている父にイライラするようだが、父は既にだいぶしんどいのだと思う。

 昨日、仕事が定時になった瞬間に母親から電話がかかってきた。繁忙期でまだ退勤していなかったので保留にしたが、あとで掛け直すとあたりさわりのない会話のあとに「お父さん、この前の検査でひっかかっちゃって。癌が脳に転移してるみたい……」と言った。びっくりするよりも先に、父が最近よくよく意味のわからん事ばかり言って我々家族をイラつかせていたのは、老化だけが原因ではなかったのかと勝手に自分の中だけで納得した。
 詳しい検査は数日後とのことだが、弟が「いっそ検査結果が帰ってくる前にどっか旅行でもしよう」と言い出したらしく、電話の本題はその見積もりを私に作って欲しいとのことだった。「アタシそういうのよくわかんないし、ミドリちゃんならインターネット得意でしょう、通販ばっかしてるし~、安いプラン頼むわ!」等あっけらかんとしているようだが、母の声は心なしか弱々しく、少し震えているように聞こえた。なんだかんだで父を一番愛しているのは母なのだ。軽く頭が狂ってしまうくらい、人を好きになり毎日裏切られ、更におかしくなって毎日父にのどてっぱらに憎しみを全力投球する母を見ていると、愛と憎しみは紙一重でもなく、表裏一体というよりも、むしろどこまで遡っても全く同じ感情なのではと思えてくる。
「最近あんたたち夫婦もずっとゴチャゴチャ喧嘩ばっかりしてたべ? もうね、コレ、ちょっとは仲良くしろっていう神のお告げだと思う。夫婦で出かける機会もめっきり減ってたし、ここからまた仕切りなおして家族みんなで楽しくやんべ」
 そういう綺麗ごとがすらすら出てくるのも、三十年間この夫婦喧嘩を見守ってきたからこそである。元新興宗教信者の母は、なにか得体の知れない大自然のパワー的なものとか、輪廻転生みたいな古い仏教思想をほのめかすと何か納得するらしいので、私はいつもそういう方向で話をまとめるのだ。

 父の癌が転移した。いざ居なくなったら寂しいのだと思う。それでも私は今までどおりだ。悲観することなく、適度に親子喧嘩したり、夫婦喧嘩をたしなめたり、父の超下らない駄洒落に私だけツボって爆笑しちゃったり、いつも通りの日常をまた仕切りなおすきっかけが訪れたのだと思いたい。

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