せいぜいたのしくやろうぜ

書いてる人:二木

30代からはじめる映画鑑賞。感想記事は基本的にネタバレしているのでご了承ください。

『恋人たち』(2015/日本/橋口亮輔)

 日本の映画って「それでも生きていく」みたいな重苦しいテーマが多いよな、と思いながらこの作品の公式サイトを開いたら、「それでも人は、生きていく」というコピーがドカンと鎮座していて無性につらくなった。

 冒頭からいやに生々しく醜悪な人間の形相を描き続ける中、ゲイの弁護士・四宮の清潔な容姿とはっきりした声が中盤までは救いとなった。しかし、彼のゲイとしての純愛さえも、あのテナントで見せた想い人への性欲に満ちたいやらしい視線で一切の綺麗事を払拭する。ラストの彼の涙については人によって解釈が全然違うようだが、私には「なんでこんなバカにも愛し合う人がいるのに、俺は遠くから見守ることすら許されないのだろう」という絶望に見えた。この世で唯一愛している人間と、添い遂げることはできないとしても年老いても笑いあう関係でいること。そんな望みすら叶えられなかった彼は今後どうやって生きていけばいいのだろう。多分、あの彼より好きになれる人は生涯現れないのだろう。

 妻を殺された篠塚。最初は自分の不幸を言い訳にしているところがあるのか? と思ったが、そんな余裕もない程に彼の心は憎しみで真っ黒に塗りつぶされていた。一体誰のために裁判を起こしたかったのか。他でもない自分自身のためだと、本人は自覚できたのだろうか。会社の若い女の子に「ママにありがとうって言っといて」と声をかけたシーンは一番好きだ。冒頭からずっと感じていた不愉快さがこの辺からふっとなくなったのが不思議だった。

 隙だらけで平凡な瞳子さんのことを、私は不幸だとは思わない。彼女はちょっとバカであっけらかんとしているがゆえにこの人生を自ら選び、素直に刺激を求め、日々の陰鬱とした風景をママチャリで乗り越えていく。今は誰にも見せていないらしいが、どんな空想であれ彼女は物語をつくることを知っている人間だ。彼女の創作をただの虚しい逃避であるなんて誰に言えるのだろう。彼女には自分の世界がある。何度も見る雅子さまの映像も、プリンセス願望丸出しのネグリジェも、年齢に不相応なミニのワンピとブーツも、彼女が彼女として生きている証だ。彼女は逃げているのではない。自分だけの物語を生きている。

 しかし何故、「それでも人は、生きてい」かなきゃならないのだろう。それは篠塚が示したように、つらくて死んでしまいたくても死ぬのはなかなか難しいからではないか。私たちにできることは、死ぬまでの時間をなんとかやり過ごす事だけなので、皆必死に己の人生を意味のあるものにしたがるのだ。それ以外、何もない。

 

2015/12/12 テアトル新宿